「ときどきブログ」が、本当に「ときどき」になってしまったら、シャレにならんぞ・・・
と思いながら、中3日か4日おきぐらいにはアップしてきましたが、
ここのところ、それが5日になり、6日になっています。
今回はとうとう、中9日という、これまでの最長不更新記録となってしまいました。

当ブログにお越しいただいて、新しい記事をご覧いただけないまま、
手ぶらでお帰りいただくのはたいへん心苦しいのですが、
2冊の本づくりのうちの一方が佳境に入り、ブログを書く時間がなかなか取れません。
関係者全員、いつ寝てるんだ? みたいな時間にメールのやり取りが成立し、
ぼくの本のために、睡眠時間を割いて仕事してくれている仲間には感謝ですが、
ブログを読んでくださる皆さまには関係のないことで、
このように不義理をしておりますことを、お詫びいたします。
3月上旬には、5月に出す方の本の入稿を終える見込みですので、ここを乗り切れば、
あとは校正作業と、6月に出す本の仕事だけになり、いつものペースに戻れると思います。

さて、昨年、植木屋さんで「イボタノキ」として購入した鉢植えが、
常緑のまま冬を越しつつあります。
本来は落葉樹のはずですが、こういうことってあるのでしょうか。
それとも、「イボタノキ」自体が誤りだった? 
イボタガの幼虫は、ちゃんとこの葉を食べましたが・・・。

落葉しないイボタノキ
「落葉しないイボタノキ」

イボタガの幼虫というのは、白バックで撮るのが難しいイモムシです。
「腹脚(ふっきゃく)」と呼ばれる、幼虫期限定の吸盤状のあしが長すぎて、
小枝を常に抱きかかえるように止まっていないと安定せず、
白バックの舞台上で、しっかり立てないのですね。
倒れては起こし、倒れては起こしの連続で、何とか立っていられる1~2秒のうちに、
ピントを合わせてシャッターを押さねばなりません。

イボタガの幼虫とその腹脚
「イボタガの4齢幼虫(上下)と、小枝を抱きかかえる腹脚(右)」

去年の6月、飼育下で蛹になったイボタガが、ミズゴケにくるまれた状態で、
ベランダで冬越ししています。ベランダは、森の中よりはずっと暖かいので、
3月になったら、羽化ができる環境を整えてやらないといけません。
関東平野では、3月中旬以降の羽化が普通だと思いますが、油断は禁物です。
過去に、羽化したものの、ミズゴケから脱出できないまま翅を伸ばすことに失敗し、
非常にかわいそうな事態を招いたことがありました。
ああいう思いは、二度としたくないので、今年は早めに動こうと思っています。

あと一雨くると、季節がぐっと動きそうな、そんな予感がしています。

※ 当ブログ内の写真の使用につきましては、画面左側の「メールフォーム」を使って
 お問い合わせください。また、放送局などからのご依頼で、まれに無料で使わせて
 いただけないか、というお話をうかがうことがありますが、たいへん恐縮ですが、
 お受けできませんので、あらかじめご了解ください。
 年末にフユシャクを撮影して以来、ほとんど休む間もなくデスクワークが続き、
カメラに触れる機会もないまま過ごしてきましたが、
2015年の初撮りは、意外にも「タガメ」になりました。

次の本への掲載が決まり、こんな季節に飼育下の個体を撮ることになったわけですが、
ベランダでおとなしく越冬中のところを叩き起こされ、人間の都合で暖房を入れている
スタジオに連れ込まれて撮影されるのですから、本人にとっては大迷惑でしょう。
完全に覚醒してしまうと代謝が高まり、冬越しの貴重なエネルギーを消耗させてしまうので、
手早く撮って、すぐにベランダに戻しました。
11月に最後のエサ(金魚)を食べて以来、2ヶ月も栄養補給なしに生きていることになり、
見る影もなく痩せた腹を目の当たりにすると、春までもつのだろうか? と心配になります。
タガメ(白バック)
「タガメ(白バック)」

「水生昆虫の王者」と言われるタガメを、18年間にもわたり、累代飼育しています。
取材対象というより、もうすっかり「ペット」という感じになってしまい(笑)、
長く飼っている割には、写真をあまり撮っておらず、白バック写真もない状態でした。
最大65ミリにも達する大型種で、図鑑に多くの虫の写真を並べて同一縮尺で掲載する際、
ひとりだけ「規格外」の大きさなので、レイアウト上のバランスを難しくさせる虫です。
分類上のポジションは、カメムシ目の、「コオイムシ(子負い虫)」科。
メスの産んだ卵を、オスが孵化まで世話をするという習性を持つグループです。

コオイムシ科の卵は、孵化に至るまでに、空気と水のどちらも必要とし、
完全に水没させてしまうと卵が死んでしまうし、かといって、陸上に放置した状態では、
孵化までに必要な水分を雨だけではまかないきれません。
これを解決するために、コオイムシやオオコオイムシではメスがオスの背中に卵を産みつけ、
オスは孵化までの間、水に潜ったり浮かんだりしながら、卵に水と空気を供給し続けます。
タガメの方は、水面に突き出た杭や植物などに卵を産みつけますが、
これでは「陸上への放置」と一緒ですから、父親であるオスは
何度も水中と卵とを行き来して、水を運んでかけてやります。
移動能力のあるオスの背中に卵を産みつけるコオイムシの方が合理的であるように思え、
孵化するまで飛べないということを除けば、オスが特に不自由しているようにも見えません。

これに対して、タガメは孵化までの数日間、オスが卵の近くに拘束されることになるので、
エサも取りにくいだろうし、また、卵をねらう外敵に対しては、背負って逃げることも
できないため、覚悟を決めて立ち向かわなくてはなりません。
魚をとらえたタガメ
「魚をとらえたタガメ」

18年間にもわたる飼育の中では、いろいろなことがありました。

卵を産む場所として、「水面に突き出た杭など」と書きましたが、ぼくは木の棒の底を
生け花で使う剣山に刺し、棒の半分ほどが水面に出るような形で水中に立てています。
およそ20センチの棒を、空中と水中で10センチずつ分け合うようにセットするわけですね。
産卵場所として、これでお気に召すかどうかは、タガメに訊いてみないとわかりませんが、
せまい水槽の中で、そこしか産卵できる場所がないので、ちゃんと卵を産んではくれます。

ところが、ある時、この杭が水槽の中で横倒しになり、水没していたことがありました。
大型の剣山を使っているのですが、地震などで倒れてしまうことがないとは言えません。
その水槽内には、雌雄両方が入れてあったのですが、オスの姿を見て、目を疑いました。
(うわ、背中に産んじゃったよ!)
まるで、コオイムシのような姿のタガメがそこにいました。
卵を背負うタガメのオス(異常産卵)
「卵を背負うタガメのオス(異常産卵)」

残念なことに、このオスはすでに絶命しており、なぜ死んだのかは、今も謎です。

(1)杭が倒れ、タガメの夫婦は産卵場所を失った。雌雄どちらの「提案」によるものか
   わからないが、オスの背中が緊急の産卵場所に選ばれ、産卵が終ったあと、
   オスに何らかのアクシデントが起き、死んだ。
(2)杭が倒れ、タガメの夫婦は産卵場所を失った。雌雄どちらの「提案」によるものか
   わからないが、オスの背中が緊急の産卵場所に選ばれ、産卵が終ったあと、
   オスはメスに食われた。(産後のメスは栄養補給を必要とし、猛烈な食欲を見せます。
   タガメの摂食方法は、えものの体内を溶かしてストロー状の口で吸うというスタイル
   なので、食われたあとも、死体は損壊のない状態で、原形を保っています。
   端的に言って、死体を見て、捕食後かどうかの判断はできないのです。)
(3)杭が倒れ、倒れた杭に当たってオスが事故死した。産卵場所である杭を失ったメスが
   ちょうど産気づき、今や水槽内で「唯一の陸上」となったオスの死体
   (浮かんでいました)を、卵の「救命ボート」として活用した。

いろいろ考えてみましたが、はっきり結論が出せるわけではありません。
ただ、タガメのメスは産卵衝動が高まった時点でオスに出会えないと、
卵を水中にばらまいてしまうので、おそらく(3)のストーリーはないでしょう。
背中に産卵された時、オスはまだ生きていたのだと思います。
ぼくは、(2)ではないか? と考えています。
「出産後に、伴侶を食う」 ぐらいのことは、タガメのメスは、正常産卵でも平気でやります。
ぼくがもっと早く気づいて、両者を引き離しておけば、悲劇は回避できたのかもしれません。

杭を、あえて立てない水槽に、もう一度オスとメスを閉じ込め、
コオイムシのような行動を見せるのかどうか、確かめたいと思っていますが、
その機会のないまま、数年が経ってしまいました。今年の夏に、それができるかどうか・・・。
これまでは、累代飼育(=近親結婚)の弊害をあまり感じることもなく来ましたが、
去年の夏は、雌雄を一緒にしても産卵まで至らないケースが多く、
例年なら正常産卵が10回は見られる(飼い切れないので、10回ぐらいで止めています)のに、
わずか3回しか正常な卵塊を得ることができませんでした。
去年がたまたま「不作」の年であったということであればよいのですが、
産卵回数が3回では、実験している余裕などありません。

「産む場所がなきゃ、ぼくの背中で育てるさ。コオイムシ科なら、当然の行動だろう?」
タガメがみな、そう言って同じような行動に出るのかどうか。
それとも、あのメスだけが、天才的な行動をとったのか?
長いつきあいがあっても、やっぱり虫は、わからないことだらけのミステリアスな存在です。
また、そういう存在であり続けてほしい、とも思うのです。

<お知らせ>
ぼくの著書の一つ、「オオカマキリ-狩りをする昆虫」という本のシリーズ、
あかね書房の「科学のアルバム・かがやくいのち」が、
「厚生労働省社会保障審議会推薦図書」に選ばれたそうです。
「全国学校図書館協議会選定基本図書」、「日本図書館協議会選定図書」に続く
3度目の推薦指定で、ぼくは全20巻のうちの1冊を担当しただけですが、
うれしいニュースです。 同シリーズは、「カブトムシ(海野和男)」、
「ミツバチ(藤丸篤夫)」、「トンボ(中瀬潤)」、「カ(高嶋清明)」など、
多くの写真家が参加しており、虫以外にも、「ヤドカリ」、「タンポポ」、「ツバメ」など、
あつかう生物種は多岐にわたっています。
税別2,500円と高い本ですが、お近くの図書館などにご推薦いただければありがたく思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

◆ニュースを伝える記事はこちら◆
http://www.akaneshobo.co.jp/news/info.php?id=188
◆「オオカマキリ-狩りをする昆虫」の、著者自身による著書紹介はこちら◆
http://moriuenobuo.blog.fc2.com/blog-entry-21.html
 10月28日の記事で、「文化の日の蛾」として、ミノウスバをご紹介しました。
このミノウスバを白バックで撮影中に、ぼくがうっかり刺激を与えてしまい、
しまった!飛んじゃうかな? と思って身構えたのですが、飛び立ったりはせず、
尻を高々とかかげて、このようなポーズを見せてくれました。
ミノウスバ・威嚇(白バック)
「ミノウスバ・威嚇(白バック)」

おお、そうか。きみの決めポーズはこれだったね!
久しく見ていなかったので、忘れていましたが、ミノウスバ独特の威嚇姿勢です。
飛翔中には、決して見せないポーズですし、ネットインすると、
まずはフリーズして擬死の態勢に入るので、本当に久しぶりに見たような気がします。
「昼間に飛ぶ、はねの透明な、黄色と黒の混ざった虫」、ということでは、
これもハチ擬態の一例かもしれませんね。蛾ですから、もちろん針はありませんが、
「刺すぞ!」とハッタリをかけているのかもしれません。

白バック撮影というのは、いわば「生きた昆虫の標本撮影」みたいなものですが、
その成否を分ける生命線は、「躍動感」ではないかとぼくは思っています。
一時的に虫の動きを止めたり、仮死状態にしたり、撮影しやすい状況を作る裏技は
いくつかあるのですが、ぼくは可能なかぎり「躍動感」を引き出したいと思い、
多くの場合、あまり手を加えずに、舞台上に元気なモデルを載せています。
虫は当然、写真におとなしく収まってはくれませんから、今回のミノウスバのように、
威嚇してきたり、あるいは飛んで逃げたり、時にはポロポロとウンチをしてしまうものも
出てくるわけですね。

最近では、白バック上で起きるハプニングがだんだん楽しくなってきて、
その分、集中感もいい感じで持続しますから、おもしろい瞬間を逃さずに
キャッチできるようになってきました。ハラヒシバッタのジャンプです。
ハラヒシバッタ・ジャンプ(白バック)
「ハラヒシバッタ・ジャンプ(白バック)」

このように、動きのある白バック写真を撮影しているうちに、
「作品」といえるものがかなり集まってきたので、いずれ本にまとめたいと思って
準備していますが、今のように、撮影が楽しいと思えるようになるまでは、
白バック撮影は、ほとんど「スポ根」だと思っていました。
なにしろ、「元気いっぱいのバッタ」を台に載せて撮影しようというのですから、
ちょっとした「覚悟」が必要であり、そんなに簡単なものではありません。

撮影台に載せる、ファインダーを覗く、ジャンプして逃げる、追いかける、
部屋の隅でつかまえる、撮影台に載せる、ファインダーを覗く、ジャンプして逃げる、
追いかける、部屋の隅でつかまえる、撮影台に載せる・・・。
10回もこれをくり返すと、それだけでもう、汗びっしょりです。
しかも、「ジャンプして逃げる、追いかける、部屋の隅でつかまえる・・・」、
という単純なくり返しは、むしろ幸運な事例であって、
体が小さいヒシバッタのような昆虫の場合、事態はさらに紛糾をきわめ、
スタジオが修羅場になることもしばしばです。

「ジャンプして逃げる、追いかける、見失う、机をどかす、椅子もどかす、棚をずらす、
見つからずに頭を搔きむしる、自分をののしる、目の前にピョンと出てくる、
神に感謝する、感謝しているうちにまた逃げられる、神を呪う、また出てくる、
今度こそつかまえる、うわあ埃まみれじゃないか! 洗面所で洗う、バッタがいやがる、
かわいそうで胸が痛む、ティッシュでやさしくくるむ、ティッシュから大切にそっと出す、
人の気も知らずジャンプして逃げる、追いかけてころぶ、バッタと一緒に埃まみれになる、
気落ちする、放心しているうちにまた逃げられる、自分の目的がわからなくなる・・・」、
大げさでなく、こういうことがわが家のスタジオでは実際にしばしば起きているのです。
今では、それさえも楽しめるようになってきましたが(笑)。

ナナホシテントウの撮影は、ヒシバッタにくらべれば、ずいぶん楽なものでした。
上へ上へと向かう虫ですから、飛ばれても見失うことがないのは、非常に助かりますね。
ナナホシテントウ・飛び立ち(白バック)
「ナナホシテントウ・飛び立ち(白バック)」

「ぼくらはみんな生きている。生きているから××だ」、という歌がありますが、
生きているからこそ、躍動感あふれるカッコいいポーズが決まるし、
生きているからこそ、想定外のハプニングもあって楽しいのでしょう。
奥が深い白バック撮影ですが、「名優」たちには、ぼくの演出意図になどお構いなく、
変に空気を読まずに? 舞台上で自由気ままに動いてほしいものです。
そんな時にこそ、撮影者の意図を超えた、思いがけないよい作品が生まれるのです。
 少し前に、ネコ顔のヒメジャノメ幼虫が蛹になったというご報告をしましたが、
今度は、同じササの鉢植えで、ヒカゲチョウが蛹化のときを迎えました。
ササ類を食草とするイモムシの取材ということで、もともとは、ヒカゲチョウの方を
メインの撮影対象として飼育を始めたのですが、ぼくが、ネコ顔のヒメジャノメばかりを
「猫かわいがり」した結果、ヒカゲチョウの幼虫は、今回がブログ初登場となります。ヒカゲチョウ幼虫(白バック)
「ヒカゲチョウの幼虫」

ヒメジャノメの幼虫と同じように、頭に2本の突起をつけてはいるのですが、
両者が平行に伸びているため、耳のようには見えません。
尾端も2つに分かれているので、一見、どちらが頭かお尻か、わかりにくいスタイルです。
こういう、体の前と後ろがわかりにくい昆虫は決して珍しいものではなく、
一般的には、捕食者である鳥などへの視覚攪乱効果があるのではないかと言われています。
捕食者が、頭であると誤認してそこを攻撃すると、実はそこはお尻の先であって、
昆虫としては、最初の一撃が致命傷となることを回避でき、
「次の矢」を受ける前に、辛くも逃げ切ることが可能、というしくみなのですが、
あくまでそれは、飛んだり跳ねたりできる虫ならではの対応であって、
ゆっくり這うだけのイモムシにとって、体の前後を誤認させるこのスタイルが
どのように機能しているのか謎です。

きゅっと丸まってフリーズしていた「前蛹」の状態は、まる1日以上続きます。
10月20日の記事でご紹介した、ヒメジャノメと同じスタイルですね。
時が満ちると、脱皮の衝動が波のように全身に伝わっていき、
体を伸ばすとともに、蛹化が始まります。
ヒカゲチョウの蛹化(前半)
「ヒカゲチョウの蛹化(前半)」

頭のすぐ後ろが、まず割れるようで、幼虫の皮が、体の後ろへ後ろへと送られていきます。
尾の先端で葉にぶら下がっているわけですから、この脱皮は、重力に逆らう方向となり、
あくまで虫自身による自発的な動きです。 何としてでも、一気に脱ぎ切るのだ、という
強い意志を感じるほどで、ファインダー越しに見ている方にも力が入ります。
幼虫時代の頭が、もとあった位置から、体のおなか側を通り、後方(写真では上の方)へ
ぐんぐん送られていくところに注目してください。

脱皮がとりあえず完了すると、最後は、まだやわらかい体をぶるん、ぶるんと振り回し、
足場の固定が万全であるかどうかを、確かめているようなしぐさを見せます。
ヒカゲチョウの蛹化(後半)
「ヒカゲチョウの蛹化(後半)」

この運動は十数回ほども続き、蛹はその後、ピタリと動きを止めました。
ようやく、重力に身をゆだねることができ、ホッとした、というところでしょうか。
あとは、時間をかけてじわじわと、ゆるんでいたような輪郭が締まり、
蛹らしい、鋭角的なシルエットに変化していきます(下段右端の写真)。
蛹化開始から、脱皮が完了するまでに、およそ15分。
輪郭が整うまでには、もう15分ほどかかりました。
全体でも、わずか30分のドラマということになります。

あちこちのササの葉裏で、毎年、数知れぬ同じドラマが展開されているはずですが、
それを見られるチャンスは限られています。いち早くそれを見届け、伝えたいと思う
気持ちがあるうちは、昆虫写真家は長時間の撮影待機にも耐えられるわけですね。

ところで、10月16日の記事で、
「切ったササの葉は、まったく日持ちがしない」、と書いたのですが、
同じようにクロヒカゲを飼育されている 新開 孝さんのブログ 「ひむか昆虫記」で、
ほとんど同じ時期に、
「ササの葉はちょっと工夫すれば、4〜5日は保つから飼育は簡単」
という記事が出てしまいました(笑)。
「ぼくの立場がないじゃないですか(泣)」、というメールをさし上げたのですが、
新開さんは、この出来の悪い後輩に、「こうすればいいんだよ」と言って、写真まで添えて
秘伝を親切に教えてくださり、これは他言してはいけないのだろうな・・・と思っていたら、
10月31日のブログで一般公開されました。なんという気前のよさでしょう(笑)。

まあ、何も工夫しないと、ササは萎れやすいもの、ということは
確かにそのとおりではあるのですが、ぼくの知識と工夫が足りませんでした。
読者の皆様にはお詫び申し上げます。
両ブログの記述に相違がある場合は、「ひむか昆虫記」 優先でお願いします(笑)。

あ、新開さんは今日がお誕生日でしたね。おめでとうございます。
 前回、実地テストを経て安全宣言したササの鉢植えで、ヒメジャノメが前蛹
(蛹になる準備期間。幼虫の姿のまま体が縮んで動かなくなる)になっています。
本来、10月も後半の今の時期には、「年内羽化組」はもういないはずで、
幼虫のまま越冬態勢に入るはずですが、これは撮影のための、いわば「促成栽培」です。

フンを出し切って透明感を増した体のグリーンがいかにも美しく、
黒バック+逆光ストロボで、その美しさを表現してみました。
ヒメジャノメの前蛹(アップ)
「ヒメジャノメの前蛹(アップ)」

鉢植えであれ、あるいは野外であれ、アップの写真表現としてはこの撮り方で良く、
撮影時にほとんど迷うこともないのですが、
夜の野外で、カメラを少し引いて周辺の環境まで見せたい場合は、
常にライティング(照明)に迷いを感じつつ、撮影することになります。

自然光のない夜間の撮影では、
いかなる照明をもってしても、その環境描写は「嘘」になります。
夜の闇をまとっている昆虫は、どこに止まっていようが、闇そのものが環境となるからです。
写真家の照明が、いかに巧みに見えようとも、それは環境としての闇を切り裂き、
視覚的に認知できるように暴き立て、
「ヒト都合」の虚構に仕立て上げているに過ぎないわけですね。
こんな照明で本当によいのだろうか・・・という迷いが、常につきまとうわけです。

昆虫写真家のこのような思いを、前提としてまずご理解いただいた上で、
ハウツー的な目先の方法論を言えば、強い逆光を入れると、
いかにも夜間的に見える写真にはなります。
抽象絵画のような、鑑賞作法としての特別な見方など必要はなく、
黒の背景に逆光が入っているというだけで、誰もがひと目で、
「あ、夜っぽい」と自然に思える描写になるということですね。
反面、夜間にその昆虫を探そうという人のために、
「探すイメージ」を提供する、といった観点から照明を考えると、
逆光という照明は、現実から最もかけ離れた「ありえないイメージ」ということになります。
探す人の手もとには、かならず懐中電灯があるはずで、懐中電灯光は、
逆光とはベクトルが真逆の、「手前から奥へ」という方向の光であるからです。

両者のライティングを比較してみましょう。
まずこれが、手前から奥へ向かう光。
懐中電灯光を模した、カメラ内蔵ストロボ1灯のライティングです。
懐中電灯を持って虫を探す視点からは、虫の姿はこのように視界に飛び込んでくるはずです。
こんなイメージを念頭に置いて、お目当ての虫を探せばよい、ということになりますね。
ヒメジャノメの前蛹(ロング)内蔵ストロボ1灯による順光表現
「ヒメジャノメの前蛹(ロング)内蔵ストロボ1灯による順光表現」

しかしこれでは、被写体であるヒメジャノメの前蛹が、ちっとも美しく見えません。
透明感は、逆光(透過光)を入れない限り、透けていること自体が表現できないのです。
また、手前から奥へ向かうという「順光」では、近距離のものほど明るく描写されるため、
ここでは、手前のササの茎が白く飛んでしまって、非常に目障りでもあります。

今回は、「鉢植え」という取り回しのよさから、スタジオに持ち込んで、
いかようにも凝ったライティングをしてみることが可能です。
ストロボ5灯を使った「ていねいな」照明を施してみました。
ヒメジャノメの前蛹(ロング)ストロボ5灯による表現
「ヒメジャノメの前蛹(ロング)ストロボ5灯による表現」

ササの茂みの中にぶら下がる「天然のシャンデリア」といった感じの
美しい前蛹が表現できましたね。
しかし、これは懐中電灯を片手に虫を探すときのイメージからはかけ離れています。
アップの写真であるなら、もともと周辺環境をそぎ落とした表現ですから、
この照明でよいだろう、ということになりますが。

夜であることを、どう表現するか。 それは、とても難しい問題です。
描写できないのが闇であるにもかかわらず、写真家はそこで引き下がるわけにはいかない。
闇を光で暴きつつ、なお闇の深さを損なうことなしに、見る者に届けなければならない。
闇を生かすも殺すも、光の使い方ひとつで決まり、
写真の使用目的によっても、闇の暴き方は、ひととおりではないわけです。
もっと掘り下げていくと、「夜そのものの表現」という、
より大きなテーマに繋がっていることも見えてきます。

自然光がふんだんにある昼間とちがい、夜は、自分が目的を持って放つ光以外は存在せず、
写真家の思いが、より色濃く絵づくりに反映される現場と言えます。
夜間照明には、常に「迷いがある」と書きましたが、それは、少し大げさに言えば、
写真に自身の考えや、場合によっては思想まで投影されることもありうるからだと思います。
夜間撮影では、「写真に写りこむ全ての光に説明責任がある」、と言ってもよいでしょう。
「フォトグラフ(写真)」は、「光の(photo)」と「描く(graph)」を語源としていますが、
光のない夜の情景を、「フォトグラフ」に表現するためには、
闇と、その中にいる被写体を、どのような光で、いかに描くべきなのか。
終りなき試行錯誤は、今後もずっと続くのだと思います。

<お知らせ>
先日、虫仲間である昆虫エッセイストの鈴木海花さんが、東京新聞の取材を受けられました。
明日21日の朝刊に掲載されるそうです。ぼくも同行して、写真なども撮られているのですが、
今回はオマケなので、紙面に載るかどうかは、わかりません。あやふやな告知で恐縮です。
<お知らせの訂正(申しわけありません) 10/21 7:40>
急遽、「23日」の朝刊に変更になったそうです。大臣の辞任問題などが原因かもしれません。