「ときどきブログ」が、本当に「ときどき」になってしまったら、シャレにならんぞ・・・
と思いながら、中3日か4日おきぐらいにはアップしてきましたが、
ここのところ、それが5日になり、6日になっています。
今回はとうとう、中9日という、これまでの最長不更新記録となってしまいました。

当ブログにお越しいただいて、新しい記事をご覧いただけないまま、
手ぶらでお帰りいただくのはたいへん心苦しいのですが、
2冊の本づくりのうちの一方が佳境に入り、ブログを書く時間がなかなか取れません。
関係者全員、いつ寝てるんだ? みたいな時間にメールのやり取りが成立し、
ぼくの本のために、睡眠時間を割いて仕事してくれている仲間には感謝ですが、
ブログを読んでくださる皆さまには関係のないことで、
このように不義理をしておりますことを、お詫びいたします。
3月上旬には、5月に出す方の本の入稿を終える見込みですので、ここを乗り切れば、
あとは校正作業と、6月に出す本の仕事だけになり、いつものペースに戻れると思います。

さて、昨年、植木屋さんで「イボタノキ」として購入した鉢植えが、
常緑のまま冬を越しつつあります。
本来は落葉樹のはずですが、こういうことってあるのでしょうか。
それとも、「イボタノキ」自体が誤りだった? 
イボタガの幼虫は、ちゃんとこの葉を食べましたが・・・。

落葉しないイボタノキ
「落葉しないイボタノキ」

イボタガの幼虫というのは、白バックで撮るのが難しいイモムシです。
「腹脚(ふっきゃく)」と呼ばれる、幼虫期限定の吸盤状のあしが長すぎて、
小枝を常に抱きかかえるように止まっていないと安定せず、
白バックの舞台上で、しっかり立てないのですね。
倒れては起こし、倒れては起こしの連続で、何とか立っていられる1~2秒のうちに、
ピントを合わせてシャッターを押さねばなりません。

イボタガの幼虫とその腹脚
「イボタガの4齢幼虫(上下)と、小枝を抱きかかえる腹脚(右)」

去年の6月、飼育下で蛹になったイボタガが、ミズゴケにくるまれた状態で、
ベランダで冬越ししています。ベランダは、森の中よりはずっと暖かいので、
3月になったら、羽化ができる環境を整えてやらないといけません。
関東平野では、3月中旬以降の羽化が普通だと思いますが、油断は禁物です。
過去に、羽化したものの、ミズゴケから脱出できないまま翅を伸ばすことに失敗し、
非常にかわいそうな事態を招いたことがありました。
ああいう思いは、二度としたくないので、今年は早めに動こうと思っています。

あと一雨くると、季節がぐっと動きそうな、そんな予感がしています。

※ 当ブログ内の写真の使用につきましては、画面左側の「メールフォーム」を使って
 お問い合わせください。また、放送局などからのご依頼で、まれに無料で使わせて
 いただけないか、というお話をうかがうことがありますが、たいへん恐縮ですが、
 お受けできませんので、あらかじめご了解ください。
 本を書く際には、文末を「だ・である」で締めくくる常体文と、
「です・ます」調の敬体文とが、文体の選択肢として存在します。
これに加え、ぼくらの仕事は、読者が子供限定というケースが少なくないので、
「児童書かどうか」 ということも、執筆の条件として関わってきます。

ぼくとしては、「大人向けの常体文」が最も書きやすく、
「子供向けの敬体文」がこれに続きます。この2つは、あまり苦手意識のないものです。
これに対し、「大人向けの敬体文」というのは、はっきりと苦手意識のあるもので、
このブログがその形式で書かれているのは、「どうせだったら、苦手を克服したい」
という意図で、ぼくがあえて選んだことでした。 
ブログ記事ならば、多少つたない部分があっても、大目に見ていただけるだろうし、
ここで修行を積んでいくうちに、だんだんと苦手意識も克服できるのではないかと。

今回のタイトル「児童書で常体」というのは、
いわば「第4の組み合わせ」ということになるわけですが、自発的な企画を別にすれば、
依頼された企画で「子供向けの常体文」というのは、これまでに経験がなく、
実質的に需要がなかったため、ほとんど練習もして来ませんでした。
子供に対しては、「です、ます、しましょう」 といったやわらかな語り口調で書くものと、
ぼくの中では相場が決まっていたわけですね。 
いま製作中の2冊の本の一方が、実は「子供向けの常体文」という初めての依頼で、
「こんなに書きにくいものか・・・」、と四苦八苦しています。

「子供向けの敬体文」なら、最も楽な「大人向けの常体文」とは真逆になるため、
かえってギア・チェンジもしやすく、そういうキャラになりきることで、
切り替えがうまくいくのですが、「常体文」で書き始めてみると、書いているうちに、
つい大人としての「素の自分の言い回し」が随所に出てきてしまい、
それを、叩いて叩いて修正して、なんとか少しずつ完成にこぎつけています。

いつも本作りの際には、忌憚のない意見を言ってくれる知人に文章を見てもらい、
「これ、ヘタかなあ?」と訊ねたら、「うん、すごいヘタだ。どうしたの?」、と言われ、
いくらツッコミを期待していたとは言え、あんまりな言い方であったため、
「でもぼく、専業のライターじゃないんだよ。カメラマンの書くものとしてはどう?」
と訊いたら、「でもさ、写真はいつも安定してヘタじゃん?」、とのこと(笑)。
別に、どちらもバランスよく? けなして欲しかったわけではないのですが・・・。

依頼された企画というのは、実によい訓練になるものだな・・・と、
今回、改めて思い知らされた格好になっています。
依頼がないかぎり、自発的に練習することなどありえないし、
枠をはめられ、その制約のもとに仕事するという「外圧」は、
自分から望んで得られるものではないので、大変しあわせなことだと思います。

ブログの読者の方で、ブログからぼくのことを知り、
その後に 『散歩で見つける 虫の呼び名事典』 などを買ってくださった方は、
この本はブログとは異なる「大人向けの常体文」で書かれていますから、
ブログとはずいぶん印象が変わるな・・・と思われるようです。
急にエラソーになった感じ?(笑)。

『散歩で見つける 虫の呼び名事典』から
「『散歩で見つける 虫の呼び名事典』から(カマキリモドキのページ)」

以下は余談ですが、ぼくの妹は小学校の教員をしており、ぼくが送ったこの本を
自分のクラスの学級文庫に混ぜてくれているのですが、意外にも?大人気だそうです。
返却されると、次の誰かがすぐに借りていくそうで、5、6年生ならともかく、
「小学2年生が読んで面白いと思ってくれるのか?」と驚いています。

児童書執筆の際は、「○年生の既習漢字一覧」などを手もとにおいて、
使ってよい漢字を対象年齢にあわせ、やさしく、やさしく書こうと努力するわけですが、
子供というのは、大人に「まだ早い」と止められることを、
背伸びしてやってみたがるものだし、作り手の配慮や自主規制などを飛び越えて、
子供に媚びることなく書かれた大人向けの文章を、その年齢なりに楽しむ術を
知っているのかもしれません。
ぼくも子供のころ、文の全体がわからなくても、大人向けの本が十分楽しめた、
という経験を持っていますが、わからない部分は前後から類推して一応の解釈をし、
それが正しかったか、正しくなかったかは、
1年後なり、2年後なりに、いつかハッキリする。
ああ、そういう意味だったのかと、ある時点でストンと理解できる。
何度か、そんな経験をしました。

こうして、「理解不能な1センテンス」の意味を、その年齢なりに
徹底的に想像してみたことは、後年、すごく役に立っているような気がします。
意味をとことん想像してみた言い回しというのは、正しい意味を理解した後、
特に印象深い言葉として残るし、借り物ではない自分の言葉のストックとして、
皮膚感覚で使えるようになるのですね。

「子供は、子供だましを馬鹿にする」 と聞いたことがありますが、
過剰なまでにやさしく書いて、これでどうだ、と言わんばかりの制作側のあざとさを、
子供たちは、「あ~あ、やれやれ・・・」といった心境で見て、
肩をすくめているのかもしれません。
2015.02.09  「虫cafe!」
 以前、このブログ内でもご案内いたしましたが、昨日2月8日(日)に、
渋谷のアイリッシュパブ「Failte」で行われた「虫cafe!」に、出演してきました。
10人(欠席が出たので9人)のプレゼンターが入れ替わり立ち替わり登場し、
ひとり5分という短い持ち時間の中で、画像を見せながら虫のお話しをするという
「ライトニング・トーク」の形式で、最後は会場からの投票によって順位を決める、
というイベントです。

トーク風景。
「トーク風景」 (「そよ風ふく」さん撮影)

ぼくは、次に出す本の一部ネタバレを覚悟の上、お話しをしてきたのですが、
人気投票の結果は、「3位」というビミョーなもの(笑)。
いちおう、3位までは表彰され、賞品もいただいたのですが、
こういう中途半端な順位は、ツッコミ甲斐がありませんね。
ロンドンハーツの「格付けしあう女たち」で言えば、「中の上」みたいな順位で、
番組なら、オンエアですっと流されてしまいそうな、そんな結果でした。

ちなみに、1位は、12月30日の当ブログにご登場いただいた、川北和倫さん
ぼくも含め、「埼玉昆虫談話会」の会員が、入賞者の67%を占めるという
結果になりました(笑)。

編集者のNさんとSさん、こんなことで外出してすみません。
もうすでに、本の制作に戻っておりますので、お許しを。
 今日は節分ですね。撒いた豆は、ふたたび回収して食べるわけですから、
外国人に 「このセレモニーは、ナッツ・リターンと言うのだ」、と説明したら、
「ちゃうやろ!」と笑われました。
関西弁までできるぐらいなら、聞かんでも知っとったやろ・・・。

さて、本の制作で次々にアクシデントが起きており、もう、何があっても絶対に驚かないぞ、
と自分に言い聞かせています。サッカーの試合でいえば、
第3ゴールキーパーまで使い切って、その3人目にも負傷退場されてしまった感じ? 
これだけ悪いことが奇跡のように重なると、「鬼は外!」と叫びたくもなります・・・。

現在、別々の企画を2冊同時に進めており、今の話を「A」の企画とすると、
この記事のタイトル「話の収まりがよくない」は、「B」の本のお話です。

「B」の企画は、児童書、それも教養を得てもらうための本ということで、
解説文は、収まりのよい展開で、読者の子供たちにストンと納得してもらえるよう、
きれいに締めくくりたいのですが、昆虫側の事情でなかなかそうは問屋がおろさず、
編集サイドの期待にも応えられないでいます。
企画の編集者は、きわめて有能な方で、ぼくが原稿をお渡しすると、
「目玉もようには、敵を驚かす効果がある、という情報も入れられますか?」
「トノサマバッタは日本最大のバッタですか? もしそうなら、その情報を入れてください」
「オオゾウムシの湾曲した口吻の機能について、ここに説明があるといいです」
などと、実に正しいツッコミを入れてくださいます。

これらはいずれも、お見事と言うほかなく、経験の浅い編集者には、
ここまで的確にポイントを押さえた指摘はできません。
ところが、昆虫の実態は「こう書きたい」 という予定調和を拒否するようなところがあって、
小さな目玉もようには、天敵にわざとそこをつつかせて致命傷を避ける「陽動作戦」としての
意味があると言われているし、トノサマバッタより、ツチイナゴの方が大きいし、
オオゾウムシの湾曲した口吻は、ツバキシギゾウムシなどのバリバリの「実用品」と違って、
おそらく機能的な裏づけをほとんど喪失している・・・など、
現実はことごとく収まりのよい展開を拒否してきます。
大人向けの本なら、それをその通りに書いてもよいのですが、
児童書では、もう少しきれいなお話の形にすることができれば、ありがたいわけですね。
トノサマバッタの解説に、「日本最大のバッタである」と書けたなら、
締めくくりとしては非常に美しいのですが・・・。

トノサマバッタ(上)とツチイナゴ
「トノサマバッタ(上)とツチイナゴ」

オオクワガタは日本最大のクワガタムシではないし、
オオシロシタバは、シロシタバより小さいし、
ミズイロオナガシジミは、ちっとも水色じゃないし、
ムラサキシャチホコは、ぜんぜん紫色じゃないし、
お話として収まりがよくない事例は、枚挙にいとまがありません。

だから、節分を「ナッツ・リターン」と呼ぶ方が、
まだしも収まりがよいのでは?と思ったりするわけです。

・・・ああ、このオチも収まりが悪いな。
アクシデントの連続で、ぼくは少々疲れているようです・・・。