「著者自身による著書紹介」 の3回目です。
ずっとデスクワークが続いており、しばらく「外ネタ」が仕込めないので、お許しを。

「虫のくる宿」。
自分の代表作をひとつ挙げろと言われたら、ぼくは迷わずにこの本を選びます。
2007年の秋に出した、初めての単著で、現在までに6回の版を重ねています。
「日本図書館協会選定図書」、「全国学校図書館協議会選定学校図書館基本図書」に
選定していただき、2011年には、小学校3年生の国語の教科書(光村図書出版)にも
載せていただきました。 書店で偶然、夏休みの「読書感想文」のアンチョコ本に、
「虫のくる宿」の模範例文が載っているのを見て、ビックリしたことがあります。
著者でも、あんなにうまくは書けない・・・。

虫のくる宿 (アリス館写真絵本シリーズ)虫のくる宿 (アリス館写真絵本シリーズ)
(2007/09)
森上 信夫

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「虫のくる宿」(アリス館)2007年9月発行、2013年6月 6刷発行

出版後の経過は、まずまず順調と言ってよい本書ですが、
ここに至るまでには紆余曲折があり、実に4つもの出版社でボツになって、
5社目のアリス館がようやく企画を通してくださったという「難産の歴史」があります。
1999年夏に撮影は完了しており、企画書を書いて2000年から売り込みを開始しました。
次々に「ボツ」と言われる中で、その間、写真の入れ替えなどはいっさい行わず、
企画書の文面も、1文字だって変えない。この企画の良さがわからないのだとしたら、
わからない方がダメなのであって、わかってくれる人は、かならずどこかにいる。
作品に自信があったので、あとは「めぐり逢いを待つだけ」と思っていました。

そうは言っても、ひとつの出版社で「ボツ」と言われると、慣れないうちは、
かなり長期間にわたってヘコんでしまい、なかなか「次」の連絡ができないものですね。
アリス館さんから、「出しましょう」と言っていただいたのは2005年でしたから、
5年間で5つの出版社しか回れなかったことになります。
今では、この時の経験があるので、ぼくはすっかり打たれ強くなってしまい、
「ボツ」と言われた翌週には、別の出版社の門を叩いている、
そんな強さ(厚かましさ?)を身に着けましたが(笑)。

売り込み企画の場合、出版社は、「類書」がないことをひどく嫌います。
過去に、同様の本がどの程度、市場に受け入れられ、売り上げに繋がっているか。
前例がないと、予測が立たないので、出版に二の足を踏むわけですね。
市場に類書がない。「虫のくる宿」は、まさにそういう企画でした。
何しろ、虫の本であるにも関わらず、載っている小学校の教科書は、
「理科」ではなく、「国語」なのです。

「虫」といえば 「自然科学」であり、だから「理科」だという、そんな硬直した
考え方がぼくは大きらいで、「虫が語られる文脈を、自然科学から解放したい」、
常にそう思ってきました。理科の教材として、科学的な目で虫を見ることを、
決して否定するものではありませんが、「そればっかりじゃないだろう」、と。
「花鳥風月」を愛でる際に、気温や、風向きや、天候などをいちいち記録しますか?
子供が、まったく自発的に虫を「科学の目」で見ることは、その子にはそういう適性が
あるということで、真に応援すべきと思いますが、虫を見つめている子供に対して、
親や教師が、体長を計ってみましょう、とか、見つけた時の気温を記録しておきましょう、
などと、「余計な誘導を企てる」ことは、ぜひともやめていただきたいと思っています。
人間は虫より偉くないし、虫は単なる「理科の実験材料」ではないし、
そのような視点から離れない限り、虫を窓口として、自然への限りない畏敬の念を
抱くに至る 「心の成長」は決して望めないのではないか? と思います。
虫を矮小化し、上から目線で、理科の教材と決めつけているうちは、
いつまでも哲学を語ることはできない。

では、おまえは哲学を語れるのか? と正しいツッコミを受けそうですが(笑)、
そういう姿勢を崩さず、「昆虫に帯同する人生」を送っている限り、
いつか自然というものに対し、「誰もが意識の底でなんとなく感じていたようなことを、
万人と共有できるような、すばらしい言葉で語れるかもしれない」、
そう思って生きています。

「虫のくる宿」は、主人公である 「ぼく」 が訪れた山の宿で、
もう寝ようと部屋のカーテンを閉めかけた、その時に、部屋の灯りに惹かれて飛来し、
ガラス窓に貼りついていた1匹のガを目にしたことから物語が始まります。
ガラス越しに見る昆虫のおなかは、普段は決して見ることのできない「あられもない姿」。
擬態の名手たちも、まさかこんなアングルから見られることは想定していない。
最初は、ただ面白がって撮影していただけでしたが、
虫たちとガラス越しに対話を続けていくうちに、
語られたがっている、もう少し大きなストーリーがその背後に見えてきました。

同じ 「宿」に、5年続けて通いましたが、
1995~1996年は、ただ面白がって撮っていた夏。
1997年は、ぼんやりと自分の中で物語が流れ始めた夏。
1998年は、はっきり「ストーリー」を意識して撮影した夏。
1999年は、物語の完成のために、シナリオを書いて持参し、
欠けているシーンを余すところなく全て完成させた夏でした。

本になった「虫のくる宿」は、1泊の物語ですが、
当初は、山で2泊するストーリーを描いていました。
1泊目の宿泊客は自分ひとり。2泊目は、たくさんのお客がいる。
それを表現するために、実際には、宿泊客は常に自分ひとりだった
(そういう晩を選んで泊まっていました)のですが、
宿の入り口に、無造作に脱ぎ捨てられたように多くの登山靴を並べ、静寂の1泊目との
対比で見せる、騒がしい2泊目を演出するなど、非常に手の込んだことをしていました。
メインテーマが科学の本ではないので、伝えたいひとつの真実を補強するためには、
真実の周辺に、どのような“嘘”を、演出として散りばめることも許されます。

当初は 「2泊の物語」であったということで、本になった32ページ分以外に、
もう20ページ分以上の、掲載できなかった写真が存在していますが、
編集者との何度かのやり取りを経て、最終的には「1泊の物語」に落ち着きました。
実際に本ができ上がってみると、「山で過ごした不思議な夜」を表現するには、
「一泊設定」という、編集者の判断は実に正しかったな・・・と思います。

「宿」の所在地は山梨県で、小海線の清里駅から少しのぼったところにあります。
読者の方から、ときどき質問を受けるのですが、この「宿」は、
今もその場所に建物はあるものの、すでに宿泊客を受け入れていません。
ぼくも、完成した「虫のくる宿」を持参して、ぜひ1泊したかったのですが、
本が完成した2007年には、すでにそれは叶わぬこととなっていました。
ぼくが通った1990年代後半、高原の避暑地として軽井沢と並ぶ人気であった清里は、
今ではすっかり往時の面影はなく、多くの旅館や商店が閉ざされたままになっています。
きらびやかな灯りの消えた今の深い闇こそ、虫たちの望むところであったかもしれません。

※ 次回のブログ更新は、2月に入ってからになります。
 写真のセレクト作業に時間を取られ、ブログの更新が遅れ気味になっています。
すみません。

さて、本を作る際は、デジタル画像だけでなく、
今でも、けっこうな数のポジフィルムを入稿します。
報道写真のように「賞味期限」のあるジャンルではなく、
昆虫の行動は、100年やそこらで変化するものではないので、
デジタル化以前のフィルム時代に撮影したものが、今でもちゃんと通用するわけですね。
セミの羽化の一部始終は、江戸時代も現在も変わらないわけです。

というわけで、撮影ノートを頼りに、お目当ての昆虫が写っているポジフィルムを探し出し、
必要なコマを切り出す作業を行っています。
若い人たちは、「フィルム」までは知識として知っていても、
「ネガフィルム」、「ポジフィルム」になると、全くわからないかもしれませんね。
ネガフィルムというのは、プリントすることを前提としたフィルムで、色が反転しており、
紙に焼きつけることで、正しい色が得られます。
ポジフィルムは、色が正しく見えるフィルムで、紙にプリントせずにそのまま使用し、
スライド映写素材や、印刷原稿になるものです。

フィルムのコマとコマの間は、わずか2ミリほどの幅しかなく、必要なコマを切り出すには、
この2ミリの、ちょうど真ん中に、はさみを通さなくてはなりません。
昔は、慣れた手つきでチョキチョキ、よどみなく切っていましたが、しばらくやっていないと
手が震えます。隣のコマが失敗カットなら、多少のずれが生じても、そちらにしわよせが
いくような位置で切ることができますが、重要なカットが続く場合、どちらに寄っても
画面の一部を切りそうで、汗をかきながら、はさみを使っています。

ライトボックス上で、切り出し作業中のポジフィルム
「ライトボックス上で、切り出し作業中のポジフィルム」

たくさんのポジフィルムを見ていると、撮影の流れの中から、
当時のフィルム交換の苦しさが、ありありと思い起こされます。
羽化や脱皮などの撮影では、展開が急な時間帯と、停滞する時間帯とがありますが、
停滞のあとに急展開が待っていることが予測できるようなケースでは、
フィルムの残数がまだ10コマ以上あっても、
ここでフィルムチェンジをしておかないとあとがキツい、などの予定が立つので、
その結果、36枚撮りの3分の1ほどは何も写っていない、という、
もったいないフィルムも出てきます。

それにしても、当時は最大でも連続36コマが限界だったわけで、
よくもまあ、そんな枚数で仕事をしていたな・・・としみじみ思います。
秒間5コマで連写すると、たった7秒ほどでフィルムが尽きてしまうことになりますね。
何十年も昔の話ではない、ほんの10年ほど前までは、そうやって仕事していたわけです。
今や、デジカメのメモリーカードは、容量次第で何千カットも連続して撮ることができます。
フィルムチェンジのチャンスを流れのどこに見出すか、そんな計算もいっさい不要で、
羽化や脱皮の最初から最後までを、落ち着きはらって撮影できるようになりました。
ぼくらのようなジャンルより、水中写真家は、いちばん恩恵が大きいでしょうね。
水中でフィルム交換はできないわけですから、もぐったまま、実質的にエンドレスで
撮り続けられるようになったメリットは計り知れないと思います。

36コマが上限のフィルム時代、残数が30なら、「まだまだ余裕」と思っていたのに、
今ではデジカメの撮影可能枚数が30を切ると、(念のため、メモリーカードを替えておこう)
などと思うようになってしまいました。贅沢なものだなあ・・・とつくづく思います。
また、フィルムを使えば当然、現像料金もセットでかかりますが、
当時は36枚の写真を得るために、フィルム代とあわせて1400円ほどを必要としました。
最高で1100本撮った年があるので、この年は150万以上の経費がかかったことになりますね。

緻密な計算と、熱い情熱が起承転結を織りなす36コマのストーリーを見ていると、
1枚の写真に賭ける当時の思いが、まざまざとよみがえってきます。
デジカメにすっかり甘やかされ、写真を「撮り散らかしている」ような堕落した現状を、
まるで過去の自分に戒められているかのようで、ポジフィルムの航跡をたどる旅は、
長いあいだ、すっかり忘れていた大事なことを思い起こさせてくれたように思います。
2015.01.16  写真選び
 前回は、手抜き記事で申しわけありませんでした。
「短くても面白ければいいけど、あれじゃダメ。
イロモネアなら、5人中3人が笑わないレベル!」 とお叱りを受けました(汗)。

さて、ここしばらく、次の本で使う写真のセレクト作業に苦しんでいます。
ブログ記事が手抜きになった理由がこれで、野外で撮った写真は探し出すのに時間がかかり、
スタジオ白バック写真は、候補が多すぎて、決定カットの選考に苦労しています。

野外撮影分は、自分がノートをつけることを怠っているのが原因ですから、
これはもう、明らかに悪いのは自分です。 デジタル時代になってからというもの、
写真データ自体が、撮影年月日や時刻などの情報(Exif情報)をある程度持っているため、
まめに記録を取らなくても、何とかなってしまうことが増えました。
一方で、フィルム時代と比べて撮影量は倍増しており、整理が追いつかないまま、
フォルダが日付順に積み重なっていくと、「記憶の中のあの写真」がなかなか出てきません。

これに対して、白バック写真の方は、さまざまなポーズで大量に撮っているため、
入稿する1点を決めきれない、という悩みです。
白バック写真も、世間的な認知が一段落すると、その用途も次第に多様化してきました。
図鑑的に並べて見せ、網羅性を重視する場合には、統一感のあるポーズが要求され、
また、ビジュアルブックとして、見ごたえのあるページ作りが期待される場合は、
その虫の魅力を最もよく引き出す構図が、それぞれの種ごとに求められます。
統一ポーズで掲載する時の写真セレクト
「統一ポーズで掲載する時の写真セレクト」

さまざまな場面での使用を想定して、場合によっては、同じ昆虫の10のポーズを、
少しずつアングルを変えながら30カットずつ撮影しているようなケースもあり、
そうなると、300カットの中から、「この1点」を選び出さなければなりません。
同じようなポーズでの比較なら、比較的、写真の優劣がはっきりしますが、
ポーズに制約がない場合は、最後の5点ぐらいまで絞ると、どれも甲乙つけがたく、
なかなか「この1点」が決まらないのですね。

こういう状況になると、写真のよしあしを決めるポイントがだんだんと細かくなり、
減点法で採点することが多くなります。それが果たしてよいことかどうかは別として、
わずかな破綻も看過できなくなることは確かです。
このオトシブミの写真は、候補写真を20から10に絞る際に不採用にしたものですが、
ぼくがどこを一番気にしたか、おわかりになりますか?
オトシブミ♀(白バック)
「オトシブミの不採用カット」

最初は、まあいいかな・・・と思ったことですが、左の中脚の前半分が、
「腿節」と呼ばれる「もも」の部分に完全に重なってしまっており、
まるで脚が途中で折れてしまっているかのように見えます。
これぐらいは許してもらおうかとも思ったのですが、
一度気になりだすと、自分自身で許容できなくなり、結局ボツにしました。

おそらく、写真を見る側の人が、ひどく気にされるようなことではないと思うのですが、
実は撮影中にも、この中脚については多少意識していたことを思い出しました。
(・・・中脚のポーズを直したいが、ちょっとでも刺激したら、また歩き出してしまうな・・・。
ようやく立ち止まってくれたのだから、このまま撮ろう。この程度なら気にしなくていい)、
そう思ってスルーしたわけです。しかし結局は、そこが不採用の原因になってしまいました。

撮影時の甘えや、覚悟のなさといったものは、結局は本の制作段階まで来て、
自分自身に戒められることになるわけですから、やはり、現場で妥協してはいけませんね。
そんなことを、つらつら思いながら、今日も写真のセレクト作業が延々と続いています・・・。
2015.01.12  冬のソナタ
アゲハ越冬蛹
「冬のそなた」

アゲハ夏型♀羽化
「夏のわたし」

冬と夏のアゲハの姿です。
すみません、今日は、思いっきり手抜きです・・・。
 年末にフユシャクを撮影して以来、ほとんど休む間もなくデスクワークが続き、
カメラに触れる機会もないまま過ごしてきましたが、
2015年の初撮りは、意外にも「タガメ」になりました。

次の本への掲載が決まり、こんな季節に飼育下の個体を撮ることになったわけですが、
ベランダでおとなしく越冬中のところを叩き起こされ、人間の都合で暖房を入れている
スタジオに連れ込まれて撮影されるのですから、本人にとっては大迷惑でしょう。
完全に覚醒してしまうと代謝が高まり、冬越しの貴重なエネルギーを消耗させてしまうので、
手早く撮って、すぐにベランダに戻しました。
11月に最後のエサ(金魚)を食べて以来、2ヶ月も栄養補給なしに生きていることになり、
見る影もなく痩せた腹を目の当たりにすると、春までもつのだろうか? と心配になります。
タガメ(白バック)
「タガメ(白バック)」

「水生昆虫の王者」と言われるタガメを、18年間にもわたり、累代飼育しています。
取材対象というより、もうすっかり「ペット」という感じになってしまい(笑)、
長く飼っている割には、写真をあまり撮っておらず、白バック写真もない状態でした。
最大65ミリにも達する大型種で、図鑑に多くの虫の写真を並べて同一縮尺で掲載する際、
ひとりだけ「規格外」の大きさなので、レイアウト上のバランスを難しくさせる虫です。
分類上のポジションは、カメムシ目の、「コオイムシ(子負い虫)」科。
メスの産んだ卵を、オスが孵化まで世話をするという習性を持つグループです。

コオイムシ科の卵は、孵化に至るまでに、空気と水のどちらも必要とし、
完全に水没させてしまうと卵が死んでしまうし、かといって、陸上に放置した状態では、
孵化までに必要な水分を雨だけではまかないきれません。
これを解決するために、コオイムシやオオコオイムシではメスがオスの背中に卵を産みつけ、
オスは孵化までの間、水に潜ったり浮かんだりしながら、卵に水と空気を供給し続けます。
タガメの方は、水面に突き出た杭や植物などに卵を産みつけますが、
これでは「陸上への放置」と一緒ですから、父親であるオスは
何度も水中と卵とを行き来して、水を運んでかけてやります。
移動能力のあるオスの背中に卵を産みつけるコオイムシの方が合理的であるように思え、
孵化するまで飛べないということを除けば、オスが特に不自由しているようにも見えません。

これに対して、タガメは孵化までの数日間、オスが卵の近くに拘束されることになるので、
エサも取りにくいだろうし、また、卵をねらう外敵に対しては、背負って逃げることも
できないため、覚悟を決めて立ち向かわなくてはなりません。
魚をとらえたタガメ
「魚をとらえたタガメ」

18年間にもわたる飼育の中では、いろいろなことがありました。

卵を産む場所として、「水面に突き出た杭など」と書きましたが、ぼくは木の棒の底を
生け花で使う剣山に刺し、棒の半分ほどが水面に出るような形で水中に立てています。
およそ20センチの棒を、空中と水中で10センチずつ分け合うようにセットするわけですね。
産卵場所として、これでお気に召すかどうかは、タガメに訊いてみないとわかりませんが、
せまい水槽の中で、そこしか産卵できる場所がないので、ちゃんと卵を産んではくれます。

ところが、ある時、この杭が水槽の中で横倒しになり、水没していたことがありました。
大型の剣山を使っているのですが、地震などで倒れてしまうことがないとは言えません。
その水槽内には、雌雄両方が入れてあったのですが、オスの姿を見て、目を疑いました。
(うわ、背中に産んじゃったよ!)
まるで、コオイムシのような姿のタガメがそこにいました。
卵を背負うタガメのオス(異常産卵)
「卵を背負うタガメのオス(異常産卵)」

残念なことに、このオスはすでに絶命しており、なぜ死んだのかは、今も謎です。

(1)杭が倒れ、タガメの夫婦は産卵場所を失った。雌雄どちらの「提案」によるものか
   わからないが、オスの背中が緊急の産卵場所に選ばれ、産卵が終ったあと、
   オスに何らかのアクシデントが起き、死んだ。
(2)杭が倒れ、タガメの夫婦は産卵場所を失った。雌雄どちらの「提案」によるものか
   わからないが、オスの背中が緊急の産卵場所に選ばれ、産卵が終ったあと、
   オスはメスに食われた。(産後のメスは栄養補給を必要とし、猛烈な食欲を見せます。
   タガメの摂食方法は、えものの体内を溶かしてストロー状の口で吸うというスタイル
   なので、食われたあとも、死体は損壊のない状態で、原形を保っています。
   端的に言って、死体を見て、捕食後かどうかの判断はできないのです。)
(3)杭が倒れ、倒れた杭に当たってオスが事故死した。産卵場所である杭を失ったメスが
   ちょうど産気づき、今や水槽内で「唯一の陸上」となったオスの死体
   (浮かんでいました)を、卵の「救命ボート」として活用した。

いろいろ考えてみましたが、はっきり結論が出せるわけではありません。
ただ、タガメのメスは産卵衝動が高まった時点でオスに出会えないと、
卵を水中にばらまいてしまうので、おそらく(3)のストーリーはないでしょう。
背中に産卵された時、オスはまだ生きていたのだと思います。
ぼくは、(2)ではないか? と考えています。
「出産後に、伴侶を食う」 ぐらいのことは、タガメのメスは、正常産卵でも平気でやります。
ぼくがもっと早く気づいて、両者を引き離しておけば、悲劇は回避できたのかもしれません。

杭を、あえて立てない水槽に、もう一度オスとメスを閉じ込め、
コオイムシのような行動を見せるのかどうか、確かめたいと思っていますが、
その機会のないまま、数年が経ってしまいました。今年の夏に、それができるかどうか・・・。
これまでは、累代飼育(=近親結婚)の弊害をあまり感じることもなく来ましたが、
去年の夏は、雌雄を一緒にしても産卵まで至らないケースが多く、
例年なら正常産卵が10回は見られる(飼い切れないので、10回ぐらいで止めています)のに、
わずか3回しか正常な卵塊を得ることができませんでした。
去年がたまたま「不作」の年であったということであればよいのですが、
産卵回数が3回では、実験している余裕などありません。

「産む場所がなきゃ、ぼくの背中で育てるさ。コオイムシ科なら、当然の行動だろう?」
タガメがみな、そう言って同じような行動に出るのかどうか。
それとも、あのメスだけが、天才的な行動をとったのか?
長いつきあいがあっても、やっぱり虫は、わからないことだらけのミステリアスな存在です。
また、そういう存在であり続けてほしい、とも思うのです。

<お知らせ>
ぼくの著書の一つ、「オオカマキリ-狩りをする昆虫」という本のシリーズ、
あかね書房の「科学のアルバム・かがやくいのち」が、
「厚生労働省社会保障審議会推薦図書」に選ばれたそうです。
「全国学校図書館協議会選定基本図書」、「日本図書館協議会選定図書」に続く
3度目の推薦指定で、ぼくは全20巻のうちの1冊を担当しただけですが、
うれしいニュースです。 同シリーズは、「カブトムシ(海野和男)」、
「ミツバチ(藤丸篤夫)」、「トンボ(中瀬潤)」、「カ(高嶋清明)」など、
多くの写真家が参加しており、虫以外にも、「ヤドカリ」、「タンポポ」、「ツバメ」など、
あつかう生物種は多岐にわたっています。
税別2,500円と高い本ですが、お近くの図書館などにご推薦いただければありがたく思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

◆ニュースを伝える記事はこちら◆
http://www.akaneshobo.co.jp/news/info.php?id=188
◆「オオカマキリ-狩りをする昆虫」の、著者自身による著書紹介はこちら◆
http://moriuenobuo.blog.fc2.com/blog-entry-21.html
2015.01.01  謹賀新年
 あけましておめでとうございます。
本年も当ブログをご贔屓に、どうぞよろしくお願い申し上げます。

さて、昨年9月1日のブログ開設以来、記事の先頭に表示し続けていた「ごあいさつ」を、
本日、過去記事へ移動させました。ブログ開設のいきさつなどが書かれておりますので、
初めてお越しの方で、ご興味のある方は、こちら をご覧ください。

 年末のある日、兄妹3人が実家に集まって、両親の遺品整理を行ないました。
両親が亡くなって何年か経ち、たくさんの遺品がのこされた実家を少しずつ片づけています。
兄妹が揃って片づけをするというのは、遺品に対する思い入れが、各々で異なるからです。
兄(ぼく)にとって、どうでもよいものが、妹たちにとっては、母を思い出させる
かけがえのない品であるということも少なからずあり、うっかり廃棄してしまうと
取り返しがつかないので、捨てる前に兄妹全員の目に触れるようにしています。

そんな中から、今回は、ぼくが書いた小学校時代の「夏休みの絵日記」が出てきました。
「1ねん7くみ もりうえのぶお」。
やはりと言うか、当時から、虫のことばかり書いています(笑)。
おかしくて、なつかしくて、なんだか涙が出てしまいました。
カメラに出会うずっと前の、昆虫写真家の幼い日々がそこに描かれています。

夏休みの絵日記-その1
「夏休みの絵日記 - その1」

最近は、「昆虫以上に、昆虫少年の方が絶滅危惧種になってしまった」とよく言われますが、
今どきの小学生は、昆虫に対してどう思っているのだろう・・・。すごく心配しています。
区立の小学校などに呼んでいただいて、特別授業をしたこともありますが、
担任の先生が「交通整理」をしなければならないほど活発に質問が飛び交い、
ぼくは時間の許すかぎり(質問がなくなるまで、何時間お答えしてもよいと思いましたが、
授業時間の都合もあったようです)、質問にお答えしましたが、情熱を持って昆虫の面白さを
語る人さえいれば、子供たちは今でも十分に興味を持ってくれるのではないか? と思います。
「ジャポニカ学習帳」の表紙に虫の写真が使われることを、保護者ならともかく、
先生が嫌がってクレームをつけてしまうような時代ですが、
「指導者に情熱があるかどうか?」 それは、すごく大事なことだという気がします。

ぼくなど、お話は少しも巧くないのですが、
「虫ってすごいだろう? ほら見てごらん! 信じられるかい、この姿?」という、
「おまえ自身が昆虫かよ!」と突っ込まれそうな「ドヤ顔」で語るので、
その情熱だけは、子供たちによく伝わるようです。
で、話のつたない部分は、子供たち自身が質問することで補ってくれると。

夏休みの絵日記-その2
「夏休みの絵日記 - その2」

遺品整理の中から出てくるものは、いわばタイムカプセルですね。
ぼく自身の過去のものも、たくさん出てきます。
面白かったのは、ここにはアップしませんが、高校の通信簿。
ぼくは高校で落第した経験があり、普通科の高校を4年かけて卒業しています。
病気で入院でもしたのかって? いえ、純粋に勉強ができなかったのです(笑)。
そんな中でも、現代国語と生物だけは、5段階評価の「5」という最高評価がついており、
たかが高校の成績とはいえ、「昆虫のお話を書く仕事には適性がある」、ということが、
当時から萌芽としてすでに読み取れた、と言ってよいのかもしれません。

では、どんな教科で落第したのか?
それは数学です。 夜おそく電話が鳴り、母がオロオロした声で、
「T先生ですか! いつもすみません! すぐ信夫に替わります」、と言って受話器をよこし、
担任の先生から落第を告げられた時のことを、今も鮮明に覚えています。
ぼくの出た高校は、ぼくが5期生(落第したので、卒業時は6期生)という新しい高校で、
落第生を出したことは、まだ一度もありませんでした。
電話口で、長い沈黙があった後、

「・・・森上な、先生、職員会議で一生懸命がんばったが、ダメだった・・・。
もう少し点を取ってくれていれば、何とか救えるチャンスもあったのだが・・・。
数学のテスト、一年間の平均点が何点だったか、自分で大体わかるか?」
「わかりません。」
「5.5点だ。」 ( ← 「ごじゅうご」ではなく、「ごーてんご」です。)
「! ・・・ええと、 じゅ・・・10点満点でしたっけ?」
「馬鹿っ!」

いま思えば、あの緊迫した場面で、よくもボケをかますことができたものだ、
と自分を褒めたい気もしますが、遅くまで進級の是非を決める職員会議で、
体を張ってぼくを守ろうとしてくださった先生にとっては、
「ボケとる場合か!」といった心境だったのでしょう。
大人になった今では、その苦々しい思いは察するに余りあります。

結果、「原級留置(げんきゅうとめおき = 正式には「落第」とか「留年」と言わずに、
こう呼ぶそうです)」という措置となり、ぼくは高校1年生を2回やるハメになりました。
ジャージや上履きなどの「学年カラー」が、「えんじ色」から「緑色」に変わり、
新たに一式を揃えなければならないことになりましたが、落第後の最初の体育の時間に
ジャージの「ズボン」だけが間に合わないという事態が起き、ジャージの上は「緑色」、
下は「えんじ色」という、情けない姿で臨んだことをよく覚えています(笑)。

校舎の2階の窓からは、「もと・同級生」たちの顔が校庭を見下ろしており、
情報は「拡散」して、バカ受けしているようです。
「おまえ、半分だけ2年生になったのかよ~!(笑)」
「昆虫の脱皮失敗か?(笑)」
などと、手荒な祝福? の言葉が2階から降りそそぎます。
「脱皮失敗」というのは、比喩としても非常に巧みで、実にうまいことを言うな・・・と
感心してしまいました。 感心している場合ではなかったと思いますが(笑)。

十代も半ばで、たくさんの持ち時間がまだ許された若き日の、そんな小さな挫折の数々は、
成長とともに、リカバリーのしようもありますが、
ぼくも50歳を過ぎ、やり直しのきかない年齢に差しかかっています。
過度に失敗を恐れるのも逆効果になりかねないので、按配の難しいところですが、
慎重でありつつも、冒険心を失わず、面白い仕事をしていきたいと思っています。
そんな「冒険作」の一つが、5月ごろに本となって出ます。
このブログでまた告知をさせていただきますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

(※ 明日から1週間ほど、ブログをお休みします)